新年を迎えて1月7日になると七草粥を食べる風習があります。
早春の新芽をおかゆにして食べる行事です。
こういった昔からの風習には意味があり、人々が込めた思いがあります。
お正月のほとぼりが冷めつつある時期にひっそりとある風習ですが、この七草粥を食べる意味や歴史について確認してみましょう。
七草粥を食べる意味とは
七草粥とはもちろん『春の七草』を入れたお粥の事です。
この『七草』については後ほど説明するとしまして、なぜ七草粥を食べるのか
確認してみましょう。
胃腸を休めるため
一つはよく言われているお正月にフル活用した胃腸を休める為です。
飲んで食べてゴロゴロして…胃腸も疲れますし脂肪も蓄えます。
お粥は病気の時に食べるだけあって消化がいいですから、
正月中に頑張って働いてくれた胃腸さんをいたわる為にお粥を食べるのです。
無病息災を祈る
現在は冬でも八百屋さんやスーパーに行けば野菜がたくさんありますが、
昔は冬は野菜が少なくビタミンが不足していました。
ですので雪の下から出てきた若菜を摘んで食べ、その植物の生命力やビタミンを摂ることで
無病息災を願ったのです。
七草粥の歴史は意外と古い
この七草粥、一体いつから食べるようになったのでしょうか?
調べてみるとかなり歴史が古いことがわかりました。
七草は飛鳥時代から食べている
早春の野原で芽吹いた若菜を摘む事を『若菜摘み』と言い、万葉集(飛鳥時代~)の時代から行っていました。
例:『明日よりは 春菜(はるな)摘まむと 標(し)めし野に 昨日も今日も 雪は降リつつ』山部赤人の歌です。
ここでいう『春菜』は若菜のことです。
山部赤人さんはやっと春が近づいてきた!若菜摘みにいけるぞ!という喜びと、
だけど雪がまた降ってきてがっかりしているという思いを歌っています。
七草スープは平安時代から
平安時代の宮中では無病息災を祈って1月7日に七草入りのスープを食べていました。
一説によると中国から1月7日に『七種菜羹(しちしゅさいかん)』という7種類の野菜を入れたスープを食べて健康を祈る習慣が伝わって来て、その『七種菜羹』と日本の『若菜摘み』が結びついて七草スープを食べるようになったとの事です。
その頃はお粥ではなかったようですね。
ちなみにお粥は小正月の15日に七種類の穀物を使った七種粥(これで「ななくさがゆ」と読みます)を食べる風習がありました。
穀物は『米、粟(あわ)、きび、ひえ、みのごめ(ムツオレグサ)、胡麻、小豆 』を使いました。
七草粥が庶民に広がったのは江戸時代
春の七草をお粥に入れて食べ始めたのは時代ははっきりわかりませんが鎌倉時代~室町時代と言われています。
そして江戸時代になって徳川幕府が『五節句』を定め、一番最初の節句である1月7日に武家が行事として七草粥を食べるようになりました。
実はこの時代に『七草』の植物も決まったのです。
そしてそれが庶民に広がり定着したのです。
江戸時代に法制化された五節句はこちら
- 1月7日⇒人日の節句(じんじつのせっく):七草
- 3月3日⇒上巳の節句(じょうしのせっく):桃
- 5月5日⇒端午の節句(たんごのせっく):菖蒲
- 7月7日⇒七夕の節句(たなばたのせっく):笹
- 9月9日⇒重陽の節句(ちょうようのせっく):菊
七草粥の七草の種類
実は現在言われている七草が決定したのは江戸時代でした。
この春の七草も縁起を担いでそれぞれ意味がありますので見てみましょう。
セリ(芹) 競り勝つ
ナズナ(薺) 撫でて汚れを除く
ゴギョウ(御形) 仏体
ハコベラ(繁縷) 繁栄がはびこる
ホトケノザ(仏の座) 仏の安座
スズナ(菘・鈴菜) 神を呼ぶ鈴
スズシロ(蘿蔔・清白) 汚れのない清白
更にこの七草にはビタミンやミネラルが結構たくさん入っています。
薬効を期待しているので野菜というよりハーブの感覚に近いかもしれません。
まとめ
歴史の古い七草粥、実は最近ではあまり食べるという人は少ないかもしれません。
でも、無病息災を願い、現代的な解釈ですと正月で疲れた胃腸を休める為にビタミン・ミネラルを含んだ消化にいいお粥を食べるという風習は非常に理にかなったものでした。
たまには先人が伝えてきた文化に思いを馳せて食べてみるのもいいですね。
また、七草の健康効果や食べ方はこちらでご紹介していますのでご覧ください。
⇒七草粥でむくみ解消も!体へのうれしい効果や栄養をご紹介
⇒七草粥のおすすめの味付け 簡単なアレンジでおいしい食べ方のご紹介
⇒七草粥に合うおかず 夜に食べるなら?献立で悩んだ時の夕飯の提案